いつの間にか、ジャズは遠い記憶になってしまった

いつの間にかジャズは遠い音楽になってしまったね

新宿『DUG』(ダグ)が閉店したらしい。
ずいぶんと久しぶりにジャズ関連のニュースが出たと思ったら、そんな話題だった。

この店がまだ新宿紀伊国屋書店の裏にあった頃に数回行ったことがある。
それにしても今までよく残ってこれたものだ。
ジャズ喫茶と紹介されることが多いようだが、どちらかといえばお酒も飲めてくつろげるジャズバーである。それが平成〜令和と生きながらえることができたスタイルなのだろう。

学生時代は、同じ中平穂積氏がオーナーだった『DIG』(ディグ)に何度も通っていた。こちらのほうが正統派(つまり会話厳禁、アルコール無し)のジャズ喫茶だ。
当時は洋食屋『アカシヤ』のロールキャベツシチュー(安価だった)で腹ごしらえをし、隣のビルの暗い階段を登って3階にある『DIG』にたどり着くというのが定番だった。
※トップ画像は現在のアカシヤ。隣のビルは、もう取り壊されている。

1983年に閉店。そのあたりがジャズ喫茶文化の終焉かもしれない。
その頃から純粋なジャズ喫茶はどんどん姿を消し始めていったように思う。

それでも、それから40年以上もの間『DUG』は続いた。すごいことだ。
2024年に中平穂積氏が亡くなられたあとは、ご子息が引き継いで経営されていたということ。お疲れ様というほかはない。

消え去るジャズ界隈の思い出

音楽の中心にジャズがあったものとして、この『DUG』の閉店はさみしい話だが、5月に敬愛するソニー・ロリンズが95歳でこの世から去ったことのほうが「ついに来たるべきもの」という感じなのである。

古くはライブ・アンダー・ザ・スカイから引退直前の来日コンサートまで、相当の数のステージを観た。ジャズといえばソニー・ロリンズというほど、その音やパフォーマンスに取り憑かれていた。何人もの伝説と呼ばれるジャズマンが鬼籍に入ってしまったが、最後の巨人もいなくなってしまった。

そして、日本のジャズミュージシャンの中で最も多くのライブを観てきたピアニストの山下洋輔が休業生活に入った。山下氏もすでに84歳を迎えているので無理が効かなくなってきたのかもしれない。

ジャズはレトロの象徴としてイメージ的に取り上げられることはあっても、とうの昔に主流の音楽シーンではなくなっている。

ジャズは死んだか

ジャズ評論家の相倉久人氏が1977年に著した『ジャズは死んだか』というタイトルの本がある。これを最後に著者はジャズ評論家としての一線を退いた。

ジャズという音楽に新しいスタイルが出てくるたび ── 例えば、ジャズが踊るための伴奏音楽であったスイングという時代からビバップというインプロビゼーションを主体としたアドリブの時代へ、そしてモードからフリー、フュージョンへと変わっていくたびに、「ジャズは死んだ」という言葉がくり返し使われていた。

しかし、そもそもジャズとはそのように移り変わっていく音楽として発展してきたのだ。もとは黒人の労働歌(ブルースのルーツ)や宗教音楽(ゴスペル)と、ヨーロッパ音楽の血が入ったクレオールと呼ばれる人たちの音楽が融合してできたものなのである。起源そのものが融合(フュージョン)の音楽だ。

ジャズはアメーバのように時代とともに変化していく音楽なのだろう。当時、「ジャズは死んだ」という言説が出ることに対するアンチテーゼとしてこの本は書かれ、頑ななジャズ業界に見切りをつけたということだ。


話が少し脱線してしまったが、上記のような本質的な意味でのジャズというものを追わなくなって久しい。自分にとってのジャズは、マイルス・デイビスが亡くなった1990年あたりで止まってしまっている。

その意味では「ジャズは死んだ」のかもしれないが、1990年代以前のジャズが亡霊のように生きているとも言えるのだろう。

要は「ジャズはこういうもの」という範囲は、個々で違うということだ。ある人にとってはディキシーやスイングかもしれないし、またはモダンでありフリーであったりもする。

現在はアシッドジャズとかジャズラップなどが潮流らしいが(もしかしたらもっと違うものかも)、その時代に生きる人たちが感じたジャズでいいのだと思う。商業的にどうなのかは別にしても、だから「ジャズは死んではいない」のだ。

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プロフィール

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しば@昭和30年代男

しし座、O型。
ウォーキング、読書、落語、音楽、旅など。
この世にネットが無かった頃の記憶を思い出しながら、閃いたり発見したり考えたことを記録していく予定。