最近、ユニクロのTVCMで、サザンオールスターズの楽曲が耳になじむ機会が増えている。なかでも、僕が愛してやまない『忘れられた Big Wave』や『メロディ(Melody)』は、その懐かしさと鮮烈な個性で、とりわけ印象深い選曲だ。
なぜ今、サザンの楽曲が国民的ブランドのCMに起用されているのか。
今回は、その背景や曲に込められたエピソードを深掘りしてみたい。
昭和世代の「心」を揺さぶる、記憶の引き出し
普段はテレビをあまり観ないのだが、たまたまユニクロのCMが流れると思わず足を止めてしまう。そこには、心の琴線に触れる何かがあるに違いない。
使用されている『忘れられた Big Wave』や『メロディ(Melody)』は、サザンファンはもちろん、1980年代から90年代を過ごした「昭和世代」にとって、特別な意味を持つ楽曲なのではないだろうか。
『忘れられた Big Wave』:声だけで描く、夏の記憶
『忘れられた Big Wave』は、ユニクロ「エアリズムインナー」のCMソングとして起用されている。
バブル経済が崩壊し、華やかな時代が終わりを告げようとしていた1990年にリリースされたアルバム『Southern All Stars』に収録されている。
アカペラのみ、ひとり多重歌唱の静寂
楽器音を一切使わず、桑田佳祐の声を多重録音し、指打ちの音で構成されている印象的な曲。元々は映画『稲村ジェーン』の挿入歌として使用され(最初は主題歌だったらしいが、それは後に「真夏の果実」に変更された)、“夏の終わりの寂しさ”や、“遠い記憶の揺らぎ”を声だけで描いた傑作だ。
当時、誰もが経験したであろう時代の変化や、未来への漠然とした不安、そしてそれに対する郷愁が、この曲のメロディと歌詞には詰まっている。
ユニクロCMでこの曲が流れることで、ブランドに“静かな感動”と“ノスタルジー”が自然に結びつき、観る者の心に深く響きわたるのだと思う。
『メロディ(Melody)』:デジタルとバラードが混じり合う異彩作
『メロディ』は、ユニクロ「LifeとWear / メリノの日 メリノウール」のCMソングに起用された。
1985年8月にリリースされたシングルで、アルバム『KAMAKURA』に収められている。
バラードながらもサザンらしい実験性が光る
多くの人の記憶にもある甘酸っぱい恋の思い出や、大切な人への切ない想いを静かに歌い上げる名曲である。
シンセサイザーや打ち込みを多用した実験的なアレンジも特徴。
この曲を聴くたびに、まるで当時の風景が目の前に蘇ってくるかのようである。友人と歌ったカラオケ、カーステレオから流れるラジオ、そんな情景がふと脳裏に浮かんだりもするのだ。
この曲は、流行を追うだけでなく、人生の節目や感情の機微と深く結びついている。
ユニクロはこの『メロディ』で、単に「服」という物質的なものを売るのではなく、そこに付随する“記憶”や“感情”、そしてブランドの“機能性 × モダンさ”を重ね合わせているのではないか。
「ユニクロ」と「サザン」が織りなすストーリー
ユニクロには、派手なデザインやトレンドを追うだけでなく、人々の生活に寄り添い、長く愛されることを目指す、「LifeWear(究極の普段着)」というブランド哲学がある。
それはまるで、時代を超えて聴き継がれるサザンの楽曲そのものではないか。
それがある世代の人生のサウンドトラックであるように、ユニクロのアイテムもまた、人々の日常に溶け込み、人生の様々なシーンを彩る存在である、というメッセージが込められているのかもしれない。
さらに、サザンの楽曲が持つ“普遍性”も重要な要素だろう。
親世代が聴いていた曲として、若い世代にも一定の認知度があるため、CMを通じて「この曲、知ってる!」という共感が生まれ、世代間コミュニケーションのきっかけにもなり得るのだ。
ユニクロは、昭和世代の心を掴みつつも、若い世代をも巻き込むことで、幅広い層にアピールすることに成功している。
「懐かしさ」のその先にあるもの
CMで流れるサザンのバラードを聴いていると、過去を懐かしむと同時に、今の自分を客観的に見つめ直したくなることがある。
あの頃の自分と今の自分。変わったこと、変わらないこと。
そして、これからも変わらずあり続けるであろう日常の営み。
ユニクロのCMは、そんなわれわれの心の動きに寄り添い、ブランドへの親近感を醸成しているように思える。
特に今回取り上げた2曲はどちらも、一聴すると“懐かしさ”を感じさせながら、それぞれ違った方法で新しさや独自性を感じさせる強い個性を持っている。
ユニクロにとってそこに通底するものは、“日常に寄り添う普遍性”と“時代とともに進化する革新性”なのだろう。


