今回はちょっとしたプロローグから。
はじめに
仕事や学業、社会生活を送る上ではいろいろな息抜きが必要だ。その息抜きのひとつが『エンターテインメント』。
本、テレビ、映画、演芸、芸術、スポーツなどがそうで、それらを人生の『余白』と捉えてもいいのではないだろうか。
それがそのまま収入に跳ね返るわけではないが、その人の生き方や考え方に大きな影響を与えることは多い。
そろそろそんな『余白』を振り返ってみるかなぁ、という思いで、『昭和生まれが忘れられないシリーズ』を始める。
さまざまなジャンルの中で忘れられないものを選び、ポツポツと書き連ねていきたい。
昭和映画の魅力が凝縮された『駅 STATION』
シリーズの最初は「日本映画」の『駅 STATION』を取り上げる。
あらすじや概要などはWikipediaを参照いただきたい。
この映画は1981年(昭和56年)公開時にロードショーで観た。
どの映画館だったのかな。忘れてしまった。
大ヒットし、感動もした『幸福の黄色いハンカチ(1977年公開)』同様、健さん(と気安く呼んでしまうのだが)と倍賞千恵子が共演するとあって、かなり期待をして観た記憶がある。
当時率直に思ったのは、同じような出演者でも監督やスタッフが異なることで、これほど作品の表情が違ってくるんだということだった。
『幸福の黄色いハンカチ』との違いは?
ここで両作品の共通点をあげてみたい。
「孤独な男」高倉健の魅力
健さんの役柄は前者が刑務所帰り、後者が刑事と正反対だが、どちらの作品も演じるのは不器用で寡黙な男が主人公であるということ。彼は多くを語らず、その表情や背中で感情を表現している。
北の大地が描く叙情性
広大な北海道の美しい自然(特に雪景色)が、登場人物の心情を象徴的に表現する役割を果たしている。荒涼とした景色が、そこに暮らす人たちの内面の孤独や哀愁を際立たせるのだ。
『幸福の黄色いハンカチ』は山田洋次監督、『駅 STATION』は降旗康男監督、どちらも北海道が舞台でシチュエーションは似た雰囲気なのだが、作品としての魅力はとても対照的だ。
物語の形式とテーマ
『幸福の黄色いハンカチ』は、希望と再生のロードムービー。
刑期を終えた男が、出会った若い男女との旅を通じて、もう一度生きる希望を見出していく物語。ラストシーンの黄色いハンカチは、愛と希望のシンボルとして表現されている。
全体的に明るく、ユーモアも交えながら、温かい人間関係を描いている。
『駅 STATION』は、孤独と喪失を散りばめたオムニバス形式。
主人公の刑事の人生を、彼が駅で出会い、別れていく3人の女性とのエピソードを通して描く。
希望よりも、孤独、別れ、そして人生の厳しさが深いテーマとなっていて、結末もまた哀愁に満ちている。
監督の演出スタイル
山田洋次監督の演出
人々の温かさや絆を繊細に描き出している。それは代表作『男はつらいよ』にも共通する要素である。
武田鉄矢や桃井かおりとの軽妙なやりとりを通して、健さん演じる主人公の心を少しずつ解きほぐしていく。
降旗康男監督の演出
無駄なセリフを削ぎ落とし、静寂の中で登場人物の心情を深く掘り下げ、健さんのストイックなキャラクターを最大限に活かしている。
これが『駅 STATION』の持つ、張り詰めたような緊張感と深い哀愁を生み出しているのだと思われる。
登場人物の関係性
『幸福の黄色いハンカチ』の主人公
旅の道連れである若いカップルとの交流を通じて、次第に心を開いていく。
この「旅」という非日常的な体験が、登場人物たちの間に強い絆を育んでいくことになる。
『駅 STATION』の主人公
それぞれの女性と刹那的な出会いと別れを繰り返す。彼らの関係は、深く心を通わせるものの、運命のいたずらや立場の違いによって常にすれ違ってしまいとても緊迫感がある。
どちらも名作で心に残るのだが、自分の感情や嗜好にフィットするのは圧倒的に『駅 STATION』である。
あえて挙げてみたい、『駅 STATION』の核心
1. 個性豊かな巨匠たちの表現
「静」の演出
降旗監督は、健さんの寡黙で内省的な演技を引き出すことに長けている。
過剰な説明やセリフを排し、登場人物の表情や仕草、そして雪景色が広がる北海道の情景そのもので、心情を語らせるスタイルはこの作品の大きな魅力である。
健さんの「不器用な男」としての集大成
主人公の英次は、自分の感情を素直に表現することができず、愛する人たちとの別れを繰り返す。
健さんは、この不器用でひたすら耐え忍ぶ男の姿を、セリフに頼らない演技(その眼差しや背中)で表現している。
彼が今までに演じてきた「男の美学」がふんだんに詰まっているのだ。
脇役の存在感

いしだあゆみ、倍賞千恵子、烏丸せつこなど、主人公の人生を通り過ぎていく3人の女性を演じる女優陣の演技も、この映画の重要な要素だ。
特に、倍賞千恵子とカウンター越しに紅白(八代亜紀が歌う『舟唄』)を観るシーンは、日本映画史に残る名場面のひとつだ。他にも大滝秀治、室田日出男が重要な役どころとなっていて、やはり映画は「脇が大事」だということを認識させてくれる。
そういえば、いしだあゆみも八代亜紀も亡くなってしまった。残念である。
2. 人間の内面や感情の機微を抉りぬくテーマ性
「孤独」と「すれ違い」の叙情詩
駅という場所は、「出会いと別れ」を象徴する場所であり、英次はそこで様々な女性と出会いながらも、その関係は常にどこかですれ違ってしまう。その切ない人間関係の機微が心に深く響くのである。
「人生の敗者」への優しいまなざし
脚本を手がけた倉本聰は、この映画で「誰もが、自分の思い通りの人生を送れない」というテーマを提示している。登場人物たちは皆、どこかで挫折や悲しみを抱えており、決して順風満帆な人生ではないのだ。
しかし、彼らの不器用な生き方や、それでも前に進もうとする姿を、この映画は静かに、そして温かく見つめ、深い共感を与える。
3. 光と影を活かした映像美
冬の北海道が織りなすモノクロームの世界
映画の舞台となる冬の北海道は、白く広がる雪景色と曇り空、そして夜の街灯の光が、まるでモノクロームの絵画のような美しいコントラストを生み出す。
この寒々しくも美しい情景は、登場人物たちの孤独や寂しさをより一層際立たせ、作品全体の雰囲気を高めている。
「光と影」が語る心情
雪の降る駅のホーム、カウンターの灯り、夜の街路灯など、この映画では光の使い方が非常に印象的である。
光は希望や温かさを、影は孤独や葛藤を表し、セリフに頼らずとも登場人物の心情を雄弁に物語っている。撮影は木村大作。
4. 社会の変遷を映し出す記録としての価値
失われゆく「国鉄」の風景
この映画が公開された1981年当時は、国鉄のローカル線が次々と廃止されていった時代でもある。映画に登場する増毛駅も、今では廃線となってしまった。
映画の中では当時の国鉄車両や駅の様子が丁寧に描かれていて、昭和という時代を生き生きと伝える貴重な記録としての価値も持っている。
まとめ:あらためて観た想い
僕がこの映画を観たのは22歳の頃だ。
マジメに就活などせず、学生の頃からのアルバイト先になし崩しに就職してしまい、明日がどうなるのかなどまったく予測できなかった青二才の時代。
公開当時の降旗監督は47歳、健さんは50歳。
『駅 STATION』からは、両者のタッグが築き上げた独自のスタイルがむせ返るように香ってくるようだ。
この文章を書くにあたって作品を観返した。
\ ここでも観られます /
普遍的な「人間の孤独と哀愁」というテーマを描き出し、昭和映画の魅力を余すところなく伝えていてあらためて傑作だと感じた。


